ロジックを学んでも、うまく話せないときに見直したいこと
渡辺まどかです。
みなさんは、「言いたいことがうまくまとまらない」と感じることはないでしょうか。
何を、どんな順番で話せばいいのか。
どう説明すれば、相手に伝わるのか。
どんな根拠を出せば、納得してもらえるのか。
うまく伝わらないときほど、
正しい伝え方を学べば解決するのではないか
と思いやすいものです。

もちろん、伝え方の技術は大事です。
話す順番。切り口。根拠と結論のつなげ方。相手に合わせた言葉の選び方。
こうした技術を学ぶことで、伝わりやすさは確かに変わります。
でも、それだけでは足りないことがあります。
私は、伝え方の技術は「器」のようなものだと思っています。器はとても大事です。
器がなければ、中身を相手に渡すことができません。
でも、どれだけ立派な器を用意しても、その中に何を入れたいのかがはっきりしていなければ、相手には伝わりません。
つまり、「どう伝えるか」の前に、
「自分は何を伝えたいのか」が必要なのです。
本音は、最初から立派な言葉では出てこない
ここでいう「何を伝えたいのか」は、きれいな主張や立派な意見でなくてもかまいません。
・好き
・嫌い
・気になる
・大切にしたい
・このままでは嫌だ
・もっと知りたい
・変えたい
そういう、自分の中にある小さな反応や問題意識のようなものです。
でも私たちは、こういう小さな感覚を意外と軽く扱ってしまいます。
「こんなこと、わざわざ言うほどでもない」
「ただの好き嫌いでしょ」
「個人的な感想にすぎない」
「もっとちゃんとした意見にしなきゃ」
そんなふうに思って、自分の中に浮かんだ小さな感覚をすぐに脇に置いてしまう。
けれど、言いたいことの核は、最初から立派な言葉で出てくるわけではないのだと思います。
むしろ最初は、
☑なんか気になる
☑ちょっと嫌だ
☑なぜかわからないけど、これは大事な気がする
くらいの、とても小さくて頼りないものなのかもしれません。
たとえば、
●誰かの話を聞いていて、なんとなく引っかかる
●会議で決まったことに対して、頭では納得しているのに、どこかすっきりしな
あるいは、
●誰かの言葉に触れて、なぜか少しうれしくなる
こういう小さな感覚は、その時点ではまだ、きれいな意見にはなっていません。
でも、そこにはすでに、自分が何を大切にしているのか、何に違和感を持っているのか、何に心が動いているのかが含まれています。
だから、「こんなこと?」と思うくらい小さな感覚でも、無視しないことが大事なのだと思います。
本音は、最初から堂々とした形で出てくるとは限りません。
むしろ、小さな違和感や、小さな興味や、小さな好き嫌いとして出てくることの方が多い。
その小さな感覚を、すぐに正しいかどうかで判断せず、まずは「ああ、私はそう感じたんだな」と受け取ってみる。そこから、少しずつ言葉が育っていきます。
人は「納得」だけでは動かない
では、なぜここまで本音が大事なのでしょうか。
それは、人に何かを伝えるとき、ロジックだけでは人は動かないことがあるからです。
もちろん、筋道立てて説明することは大事です。何が起きていて、何を問題だと考え、だから何をしたいのか。それを整理して伝えることで、相手に納得してもらいやすくなります。
ただ、納得だけで人が動くかというと、必ずしもそうではありません。
たとえば、こんな二人の上司がいたとします。
一人目は、言っていることは正しい。道理も通っている。説明もわかりやすい。でも、なぜか信頼しきれない。この人についていきたいとは思えない。
もう一人は、説明は少し粗い。言っていることも、必ずしも整理されているわけではない。でも、この人と一緒に仕事がしたい。この人の力になりたい。そう思える。
多くの人は、後者の方に惹かれるのではないでしょうか。
つまり、人が動くときには、「説明として納得できるか」だけではなく、「この人を信頼できるか」「この人と一緒にやりたいと思えるか」が、とても大きいのだと思います。
そして、その信頼は、その人の本音や思いが見えるところから生まれます。
☑何を大切にしているのか
☑なぜそれをやりたいのか
☑どこに違和感を持っているのか
☑何を変えたいと思っているのか
そういうものが、その人自身の言葉で少しでも見えるとき、人はその人に信頼を感じやすくなります。
反対に、どれだけ整った説明でも、そこにその人の思いや本音が見えないと、どこか薄く感じることがあります。正しい。わかりやすい。でも、響かない。そういうことが起きるのです。
だから、伝えるためには、ロジックという器だけでなく、その中に入る中身も大事なのです。
本音を言葉にするのが怖いのは、それが大切なものだから
ただ、本音が大事だとわかっても、それを言葉にするのは簡単ではありません。
なぜなら、本音に近い言葉ほど、素の自分に近いものだからです。
本音を言葉にすることは、自分の中にあるものを外に差し出すことでもあります。だから、繊細です。ときには、少し怖いことでもあります。
「こんなことを言っていいのかな」
「どう受け取られるだろう」
「誰にでも見せていいものではない」
そんな感覚が出てくるのは、本音が弱いからではなく、それだけ大切なものだからなのだと思います。
本音は、適当にそれっぽい言葉で置き換えられるものではありません。むしろ、自分に近い言葉を選ぼうとすると、時間がかかったり、言いよどんだり、何度も書き直したくなったりします。
だから、うまく言葉にならないからといって、焦らなくてもいい。うまく言えないからといって、中身がないわけでもないのです。何度も何度も、自分の本音に近そうな言葉を自分の外に出してみる。その繰り返しの中で、少しずつ、自分にしっくりくる言葉が見つかっていくのだと思います。
本音が怖いとき、人は「正しさ」に逃げやすい
本音を言葉にするのが怖いとき、私たちはつい「正しさ」の方に寄りたくなります。
ここでいう正しさとは、
●一般的にはこうするべき
●成果を出すにはこう考えるべき
●評価されるにはこう言うべき
●ロジカルに考えるならこうなるはず
そういったものです。
もちろん、常識やルール、成果につながる考え方、ロジカルな整理が悪いわけではありません。仕事をする上では、とても大切なものです。
ただ、それが自分の本音の代わりになってしまうことが問題なのです。
本当は、
「私はこれをやりたい」
「私はこうありたい」
「これは嫌だ」
「このままでは違うと思う」
「私はこれを大切にしたい」
という気持ちがある。
でも、それをそのまま受け取って言葉にするのは怖い。
なぜなら、自分の「やりたい」や「こうありたい」が、必ずしも結果や成果につながるとは限らないからです。人から評価されるかわからない。うまくいく保証もない。正しいと言ってもらえるかもわからない。
だから私たちは、自分の本音よりも先に、結果や成果から逆算しようとします。どうすれば成果が出るのか。どうすれば評価されるのか。どうすれば間違えずに済むのか。どうすれば人から認められるのか。
そうやって考えていくうちに、「私はこうしたい」ではなく、「こうするべきだ」が、自分の言いたいことのように見えてきてしまうのです。
でもそれは、本当の意味での自分の言葉ではなく、結果や成果につながりそうに見える常識やルール、攻略法、正しい答えを、自分の言葉のように置き換えているだけなのかもしれません。
そうすると、一見、立派な意見のように見えます。ロジカルに見える。筋道も通っている。相手にも説明しやすい。でも、どこかしっくりこない。本当に何を伝えたいのかは、自分でも実はわかっていない。言葉はあるのに、自分の中に芯がないような、言葉を重ねても満足できない、どこか不安で、あと一歩が踏み出せない感じになる。
それは、正しそうな言葉で、器だけを満たそうとしている状態なのだと思います。
おわりに
言いたいことがまとまらないとき、私たちはつい、「どう言えばいいか」「もっとロジカルに説明しなければ」と考えがちです。
でも、本当に見直したいのは、その前にあるものかもしれません。
●自分は何を大切にしたいのか
●何に違和感を持っているのか
●何を変えたいと思っているのか
●何が気になっているのか
そうした、自分の中にある小さな反応が、まだ言葉になりきっていないだけなのかもしれません。
伝え方の技術は大事です。ロジックも大事です。でも、それは本音の代わりにはなりません。本音が見えないまま正しさだけを積み上げても、言葉はどこか借りものになります。
だから、言いたいことがまとまらないときほど、まず必要なのは、正しい言葉を探すことではなく、自分の中にある小さな本音に気づくことなのだと思います。



