生成AIを使うようになって、
「AIに頼りすぎると、自分で考えなくなるんじゃない?」
と不安になることはないでしょうか。
わからないことがあれば聞く。
企画を考えてもらう。
選択肢を出してもらう。
文章も資料も作ってもらう。
AIがかなりのことをやってくれるようになった今、やろうと思えば自分で考える場面を極力減らすこともできてしまいます。
でも、この半年ほど、仕事でもプライベートでもかなりAIを使ってきて、私はむしろ、
AIを使うようになってから、以前より考える量が増えた
と感じています。
考えなくても済むようになったはずなのに、なぜなのか。
それは、
AIに考えさせることと、AIに思考を委ねることは違う
からなのだと思います。
目次
AIに考えてもらうこと自体は、思考の放棄ではない
実際私も、AIにかなり「考えること」を任せています。
別の可能性を出してもらう。
情報を整理してもらう。
比較してもらう。
仮説を出してもらう。
「つまり、こういうこと?」と、自分の考えを言葉にしてもらう。
すると、一人では思いつかなかった視点が出てくることもあります。
ただし、AIが出したものを、そのまま自分の答えにするとは限りません。
むしろ、
「いや、違う」
「そこじゃない」
「これは大事かもしれない」
「私は、この案は好きじゃない」
と、AIとやりとりしている時間のほうが長いこともあります。
AIが出してきたものを見て、
「なぜ私はこれを違うと思ったんだろう」
「何が嫌なんだろう」
「本当は何を大事にしたいんだろう」
と、自分で考える。
つまり私は、
AIの答えそのものではなく、AIの答えに対する自分の反応を材料にして考えている
のです。
こうすることで、自分の思考の量・質が飛躍的にアップする感覚があります。
少し、私自身の事例をご紹介してみたいと思います。
AIとのやり取りで、自分の考えが見えてくる
例えば、私自身が講座や商品の企画をするとき。
誰に来てもらいたいのか。
何を扱いたいのか。
何が他の商品と違うのか。
自分の中に、まだアウトプットしきれない、もやもやとしたアイデアはありそうな気がする。
でも、うまく説明したり、形にしたりすることはできません。
そこで、考えていることや、実際にあった出来事、受講者の反応などをAIに渡してみます。
するとAIは、
「つまり、こういうことなのでは?」
と案を出してきます。
それに対して、
「違う」
「そこではない」
「それは確かに大事」
「でも、私はそっちには行きたくない」
と返していく。
AIが案を出し、それに私が反応する。
その往復の中で、
「そうか、自分がいいと思っていたのはここだったのか」
「逆に、この形だと嫌なのか」
と、自分の考えていることに輪郭が見えてくるのです。
AIが出してくるもので、自分の考えを確かめながら、形にしていく。
AIとのやり取りは、プロトタイプを作ってデザインを決めるような、そんな思考プロセスであるといえるかもしれません。
分かれ目は、「仕事の主導権」を誰が持っているか
私は、AIを使うか使わないかよりも、
仕事の主導権を誰が持っているか
のほうが大事なのだと思います。
AIに、
「どれが一番いい?」
「私はどうしたらいい?」
「この企画で正解?」
と聞けば、かなりもっともらしい答えが返ってきます。
さらに、その答えをそのまま採用し続ければ、
何を問題として扱うのか。
何を大事にするのか。
どの選択肢を捨てるのか。
という部分まで、AIに預けることもできるでしょう。
しかし、その場合、
自分がその答えを正として、現実の中で行動するという責任。
自分が理解しきれていないものを、自分の決定とすることのリスク。
自分は何をやりたいのか、どこに面白みを感じるのかを、自分で考える機会。
そうしたものまで手放すことになります。
本当に、それが効率化された、正しい仕事のしかたなのか。
私は疑問に思えてなりません。
一方、AIを答えにするのではなく、あくまで「自分にはない一つの視点」「自分とは異なる知識を持った専門家」として扱いながら、
「違う」
「今回はこっち」
「これは捨てる」
「ここはAIではわからないから、本人に聞こう」
「現場を見たら想定と違ったから、問いから考え直そう」
と、人間が仕事の方向を選び続けることはできます。
私は、この使い方こそがAI時代の主体性であり、人間の可能性を大きく拓くものなのではないかと思っています。
仕事の途中で何度も、
今どちらへ進むのかを決め直す。
そこに人間の役割があります。
「なんか違う」は、考えるための入口になる
もちろん、
「違う気がする」
だけでは、AIとのやり取りが進まないこともあります。
そんなとき、私はロジカルシンキングを使います。
何が違うのだろう。
・前提が違うのか
・目的がずれているのか
・結論と理由がつながっていないのか
・比較する軸が違うのか
・そもそも、問いそのものが違うのか
そうやって「なんか違う」を分解すると、AIにも返しやすくなります。
ただ、人間の判断は論理だけで決まるわけでもありません。
「理屈としては正しいけれど、私はこれはやりたくない」
ということもあります。
誰と、どんな関係でいたいのか。
何を大事にしたいのか。
何は変えてもいいけれど、何は変えたくないのか。
今回はどこまで踏み込みたいのか。
そんな感情や価値観も、仕事の方向を決める大事な材料です。
だから、違和感を消す必要はありません。
まず感じる。
そして、
「何が違うんだろう」
と考える。
感じた違和感をなかったことにせず、でも「私は嫌だから」で終わらせず、何が違うのかを考えて言葉にする。
それも、AIと一緒に仕事をする人間に必要な力だと思います。
AI時代の主体性は、全部自分で考えることではない
AI時代に、「自分で考える」という意味も変わっていくのかもしれません。
何もかも一人で考える必要はありません。
整理してもらっていい。
比べてもらっていい。
仮説を出してもらっていい。
自分では思いつかない案を出してもらっていい。
AIにも、どんどん考えてもらえばいい。
ただし、それによって、自分まで考えなくなる必要はありません。
AIに考えてもらいながら、自分も考え続ける。
AIの答えを見て、感じる。
なぜそう感じたのかを考える。
必要なら現実を確かめる。
そして、また仕事の方向を選び直す。
AIを使うほど必要になる「自分で考える力」とは、そんな力なのではないかと思っています。


