先日、とある受講者さんとのカウンセリングで、
上司の期待が重い…
というお話を伺いました。
自分に期待されているのはわかっている。
でも、期待が重すぎて、厳しい叱責を受けたり、
自分のキャパシティ以上の仕事を割り振られるのが辛い。
正直、ほっといてほしい…
お話を伺いながら、私も重くつらい気持ちになりました。
他人の期待が重く感じる理由
私たちは、常に、多くの人に囲まれて暮らしています。
組織や上司、取引先のお客様、親や親せき、友だち、地域の人たちまで。
人間関係があるところには必ず、他人の思惑、
自分に対する期待というものがあります。
私のセミナーを受講くださる方は、総じてまじめな方ばかりです。
まじめな方は、
自分以外の他人の期待に応えなければ、
といつも正面から向き合っています。
私も、他人の期待に応えすぎてしまう一人として、
受講者さんのお話を伺いながら、
と深く共感してしまいました。
なぜ、こんなにも、
他人の期待というものは重いのでしょうか。
「他人に対する期待」は、自分の個人的な経験に端を発している
とても主観的なものであるにもかかわらず、
無責任に持てるものだからです。
自分がかなえられなかった思いを、他人にかなえてもらおうとする、
無責任な夢が、「他人にかける期待」なのです。
だから、そもそも、どんな大義名分と結びつけようが、
期待というものはすべからく、
「個人の想いでしかない」ものと言えるでしょう。
「応えたい」と「認められたい」
しかし、その他人の期待に
なぜ応えたいと思ってしまうのか。
それは、他人の期待に応えることが、
その人との繋がりを維持する方法であるように
感じてしまうからです。
認められたい
私のことを大切にしてほしい
私のことを好きでいてほしい
そういう欲求は、人間としてごく自然なものです。
だからこそ、自分の意思を押し殺しても、
他人の無責任な期待に応えようとしてしまいます。
それが息苦しさの原因であったとしても。
「自分の」期待や願望を基準にする
では、どうすれば、
期待に対する息苦しさから逃れられるのか。
それは、
「相手の期待は相手の主観でしかないと自覚し、
自分の主観である、自分の期待・希望・願望を
しっかりと伝えること」です。
相手の期待を基準に判断しないことです。
基準となるのはあくまで、
「自分が何をしたいのか、なぜしたいのか、どのようにしたいのか」
全ての基準は自分におくことです。
信念と信念のぶつかり合いで生まれるもの
逆説的ではありますが、
「期待」はその人の個人的なエピソードに
基づく信念であるからこそ、力を持っています。
その人が、人生をかけてたどり着いた信念だからこそ、
説得力のあるものであり、心を動かされ、
思わず「応えたい」と思ってしまうのです。
ですから、相手の期待に抗って、
自分の期待・希望・願望を突き通そうとするならば、
それだけの理由を、「客観的な事実と推論」、
そして「自分の揺るがぬ想い」を併せて伝える必要があります。
客観的な事実と推論だけでは、人の心は動かない。
その人が、その信念にたどり着いた、
心の底から湧き上がる思いを伝えなければ、理解と賛同は得られません。
信念と信念が本音としてぶつかるとき、
親子や子弟の関係を乗り越え、深い理解とお互いの尊敬になります。
信念と信念のぶつかり合いは、
魂を震わすセッションのようなもの。
私のロジカルシンキングは、
そんな、「論理」と「想い」の両方を
サポートできるものでありたいなと思っています。
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